年上の人には、勝てませんでした
付き合っているのか?と聞かれれば、付き合っている。
恋人か?と聞かれれば、恋人だと答えられる自信が彼には、ある。
しかし、愛の言葉を囁いているのか?と、問い掛けられた時だけ、彼は口を閉ざし、沈黙してしまう。
そんな事、言える訳がない。
大体、愛の言葉を囁くなんて・・・・・・正直、慣れないし、今更過ぎて。
言わなくても、
は分かってくれていると・・・・・・理解してくれていると彼は、思っている。
(あぁ・・・・誰やねん・・・・愛の言葉なんて最初に囁いたのは・・・・。)
言葉にしてどうなるんだろか。
その言葉が、偽りだったらどうするんだろか。
偽りの言葉を聞いて、一体何が嬉しいのか。
そんなの、後から知ったら・・・・・自分が馬鹿みたいじゃないか。
それでも聞きたいものか?と少し疑問を持った。
否、自分はそうは思わない。
まぁ、考えても仕方がないことだ。そもそも、自分は
に対して偽りは言わない・・・・・・と、思った所で、白石は、それを考えるのをやめた。
「あら、随分早く来ていたのね。」
「おん。
は、えらい遅かったなぁ。」
チラッと白石が、店の壁に掛かっている時計に視線を向ければ、針は既に約束していた時間から、一時間後を指していた。
「悪かったわよ。流石に一時間はやり過ぎたわ。」
今度は最大三十分遅れまでにしておくわと、満面の笑顔を白石に向けながら、
は言った。
そんな台詞を聞いた彼は、思わず苦笑いをする。
これも惚れた弱味だ、仕方がない。と内心諦め、
に何か頼むようにとメニューを見せる。
しかし、
はメニューには一切目もくれず「ブルマン。」と店員に注文をする。
「いっつもそれやなぁ・・・・・。キスの味が、珈琲の味ばっかりや。」
「カフェイン中毒で悪いわね。珈琲味が嫌なら、キスは禁止。」
「ちょっ・・・・まっ・・・・!!」
これはあんまりな言い方だ。
キスが禁止?
冗談じゃないと、白石は焦るに焦った。
恋人とキスが出来ないなんて、大問題だ。
しかも、滅多に会えない彼女。
今日だって、以前からずっとずっとメールで懇願して、白石が得られた約束だったのだ。
あぁ、自分の発した言葉を引っ込められたら良いのにと、落ち込んだ。
は、年上であり、その上もう自分の親の仕事まで手伝っている。
しかし、いくら年上と言えど、一つしか違うじゃないかと思っていた。
だから、大して差がないのだから・・・・・・何か反論だって言えるだろうと。
(せやけど・・・・・やっぱ、勝てへんなぁ・・。俺、こんなんじゃあ、ヘタレやないか。)
悲しいことに、折角のデートと言えども、目の前に座っている彼女は、真剣に書類に目を通している。
自分よりも、書類優先なのか。
もしかしなくても自分は書類に負けている?
これは、苛めじゃないのか。
折角のデートを書類ごときに邪魔されるなんて、嫌な思いだ。
何時もならば、多少の事は許してきた白石でも、こればかりは許せなかったのか、
の手から、書類を強引に奪った。
「・・・・・・返しなさい。」
「嫌や。」
「・・・・・・大切な書類よ。返しなさい。白石蔵ノ介。」
「断る。今は、書類なんかより俺優先や。そやろ?」
「子供ね・・・・・少し位、我慢なさい。すぐに終わるから。」
「あかん。今日までどれ位俺が我慢したか分かるか?分からんやろ?二ヶ月やで。二ヶ月。しかも、
からは、全く連絡寄越さへんやん。」
まるで、駄々をこねている幼い子供みたいだと内心、彼は思っていた。
思っていたし、きっとこんな自分は、
に相応しくないし、嫌われてしまうんじゃないかという心配もあった。
だが、どうしても止まらなかったし、この口を塞ぐことも不可能だった。
次から次へと今までの不安や不満。更には、自分に対する疑問までも口は止まることなく動き続けた。
あぁ、こんな醜い自分は、消え去ってしまえば良い。
に嫌われたら、自分は生きていくのは難しい。第一、立ち直れない・・・・・・と白石は確信していたが、どうやっても止めるなんて事は、不可能だった。
「仕事じゃなくて・・・・・貴方を優先しろと?」
「そうやない。ただ、俺といる時は、俺だけの事を考えてほしいねん。
が、仕事が忙しいのは知ってる。せやけど、会ってる時までこれはないやろ?」
目の前の一つ下の恋人が、滅多に言わない我が儘を言っている。
彼の言いたい事は分かるが、今日だって無理矢理昼間だけ時間を割いて会うことにしたのだ。
しかし、この書類は今日の午後一には読み終わっていないと困るもので。
(これだから・・・・・・仕事が分からない学生と付き合うのは嫌だったのよ。)
ならば何故、付き合っているのか?
そんなの簡単だ。彼を好きになってしまったからだ。
嫌なら、別れれば良いじゃないかと他人に言われなくても分かっている。
しかし、感情が言うことを聞いてくれないのだ。
白石蔵ノ介という人物は、自分にとって麻薬みたいなものなのかも知れない。
大人びている様に見えても、十八の青年なのだ。
(あんな表情をして・・・・・。)
ふと、思考を止めて現実へと戻ると、目の前の恋人はまるで、今日で自分の『世界の終わり』だという様な表情をして俯いてしまっていた。
腕時計を見れば、もう会社へ戻らなければいけない時間が迫ってきていた。
しかし、自分の恋人をそのままにしておいと良いのだろうかという思いが、自分の中に拡大していく。
仕事を優先するべきか。恋人を優先するべきか。
自分自身に問い掛ける必要はなかった。
何故ならば、既に心は決まっていたからだ。
「・・・・・・・もしもし?悪いけど、今日の打ち合わせは私無しでやって頂戴。何?私がいなくても大丈夫でしょう。結果を報告しなさい。」
白石は、自分の耳を疑った。
今、彼女は何て?
確か約束は、昼休みの一時間だけだったはず。
それが、目の前の彼女は『戻らない』と言っていた。
と、いうことは・・・・・・・
は、自分といてくれるのかと、思うと今度は嬉しくなった。
この時、彼は自分が単純な人間なのだと、実感したのだ。
「有り難く思いなさいよ。だから、機嫌を直しなさいな。」
「もう直ったわ・・・・・・・あかん。俺、
には一生勝てそうにないわ。」
そう言った白石は、悔しそうな表情ではなく、とても嬉しそうに笑っていた。