彼女は、知っている。
目覚めての、キスをしましょう
別に、見て見ぬ振りをしている訳じゃなかったと彼女は思っていた。
ただ、瞼を開いてしまうのが怖かったから、眠っている振りをしていただけなのだ。
だから、彼女はずっと知っていた。
ずっと気付いていたのに、気付かない振りをしていた。
(手塚君……だったかな。)
良く良く考えれば、彼とは話した事なんか一度もない。
自分の名前すら知らないであろう彼が、何故自分にキスをするのだろうか。
人間違えか?と、彼女は考えてみたが、校内に自分に似ている人物なんて、思い付かなかった。
ならば、何故キスをするのだろう。
告白以前に、会話さえした事がない自分にと不思議でならなかった。
勿論、彼女だって、彼に恋愛感情は持ち合わせていない。
「・・・・・今日こそ聞いてみよう。うん。」
そう決心した後、彼女は同じ場所で眠りに着いた。
(・・・・今日もまた、眠っているのか。)
何度、この場所に脚を運んだのだろう。
そんな事を考えた直後、なぜ自分がこんな事をしているのかと疑問を持った。
大体、告白自体していないではないか。
それなのに、キスをしてよかったのだろうか。
万が一、キスをしようとした時に気付かれたら・・・・どんな反応を示すのかなんて、想像してみたくもない。
音を立てないように気を付けながら、椅子を引いて座る。
一体、何時も何時に寝てるんだ?なんて事を思いながら、彼女の寝顔を見つめる。
「・・・・・・何時間寝ていられるんだろうな。」
と、誰にも聞こえない様に呟いてみる。
「そんなに寝ていないと思うんだけどね。」
「!!!!!!!」
物凄い音を立てて、椅子から落ちてしまった。
何故、声がするのか。
何故、今まで寝息を立てて気持ち良さそうに寝ていた彼女が、起きているのだろうか。
不思議でならなかったけれど、ふと不安が頭を過った。
“毎回、キスをしていた事も分かっているんじゃないだろうか”という不安が。
「初めまして・・・・・で良いんだと思うんだけど、どうだろう。どう思う?手塚国光君。」
「あ・・・・いや・・・まぁ・・・・・・。」
「だいぶというか、かなり曖昧で人に分かりにくい回答をするね。君。」
あれから場所を変え、喫茶店で二人で向かい合わせに座っている。
曖昧な返答をした彼に対して、少し苦笑いを浮かべながら彼女は、まぁいいかとそれ以上は追求する事をしなかった。
「こうやって話すのは初めてだから・・・・・やっぱり“初めまして”から始めようか初めまして手塚国光君私はっていう名前だから覚えてね
忘れないようにしてほしいね何たったって人が寝ているのを良いことに君はキスをしたんだからねあぁこれってセクハラで訴える事も可能だよね
どうしようかなまぁ私は優しいから訴えるなんて事は万に一つもないから安心して良いよ。」
ノンブレスで、一気に話を終えたと名乗る彼女は、最後に“宜しく”と言って、彼に向かって右手を差し出す。
握手をしろということなのだろうと察した彼は、自分も手を差し出し、彼女の手を軽く握る。
それにしても、ノンブレスで話す人間を見たのは初めてだと思った。
しかし、彼女と話してみたいと思っていたし、名前も直接本人から聞きたいと思っていた。
・・・・・・・キスをしていた事は既に気付かれていたみたいだが。
「手塚国光君はさ、どうしてキスをしたの?」
「・・・・・・それが分かれば、俺も悩まなくて済むんだがな。分からないとしか、答えられない。」
「そう。それなら仕方ない。これ以上は聞かないから、分かったら教えてくれないかな。」
「分かった。約束しよう。」
その答えに満足したのか、彼女は笑顔で頷き、注文したケーキを口に運び始める。
それにしても・・・・・不思議な気分だと彼は思う。
こうして、話が途切れて沈黙に包まれても、全く嫌な気分にはならないし寧ろこれはこれで良いのではないだろうかと思う自分がいたからだ。
この気持ちは、本当に何なのだろうか。
一向に理解できる気配が無いせいか、彼は、少し苛立ち始めてきていた。
彼は、自分の事を良く分かっていたつもりだったが・・・・・実際の所、分かっていなかったのかも知れない。
「君はさぁ・・・・寝ている私には、簡単に何度もキスを出来たんだよね。」
「・・・・・・・・・まぁ・・な。」
緊張はしていたし、罪悪感もあった事は伝えずに、またしても曖昧に返事をする彼。
そんな彼を見て、彼女はまた苦笑いを浮かべる。
正直、彼女は人と話すのは嫌いな為、友達と呼べるような人間にはこの世に生まれてきてから一度も出会っていない。
だから、きっと彼とも話しは出来ずに嫌な空気で終わるのかと思っていた。
(・・・・・・まぁ、緊張はしているけれど、これはこれで楽しいと言えるのかな。)
こんな関係が、今日で終わってしまうのだろうか?
そんな事を考えてしまった彼女は、何だか悲しい気分になってきてしまった。
何故だかは分からない。
分からないけれど、彼女はこのままでは終わりにしたくないと思った。
だから、此処で行動を起こさなかったら絶対に後悔すると思った彼女は、行動を起こす事に決めた。
彼が、どんな反応をするかなんて分からない。
分からないけれど、今の自分に出来るだけの事はしたい。
だから、彼女は彼に伝えてみた。
意味が分からないと言われてしまうかも知れないけれど。
もしかしたら、嫌われてしまうかも知れないけれど。
精一杯の笑顔を彼に向けて。
「手塚国光君。」
“どうか、伝わります様に”と願い、ニコッと軽く笑った彼女は、彼に向かってこう言った。
「ねぇ、目覚めている私にキスをしたい気持ちにはならないかな?」